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2016年5月22日 (日)

西安阿房宮

朝食を済ませ今日は阿房宮へ行ってみようと思う。阿房宮とは2000年以上もの昔に秦の始皇帝が建設していた大宮殿である。残念ながら現在は残っていないがその跡地に行ってみようと思う。宿の受付の女の子に聞くとこの阿房宮は西安ではアーバンゴンと言うらしい。中国標準語だとアーファンゴンだと思う。意味は西安方言でアーバンとはあっち(の方向)のことを指すらしい。ようするにあっちの宮殿と言うことらしい。確かに阿房宮は西安の街から少し離れた所にある。昨日買った西安の地図で路線バスを確認すると2回ほど乗り換えをしないと行けないようだ。さっそく西大街から路線バスに乗って阿房宮に向かう。しかしバスを早く降りてしまってまた次のバスに乗ったり、地図に書いてある路線バスが全く来なくて、しかたなく別のバスに乗ってまた乗り換えたりと、苦労しながらようやく阿房宮に到着した。やっとのおもいで到着したのだが阿房宮游楽園らしきものはなかった。30分ほど探してみたが見つからなかった。後から聞いたのだが結果から言うと2年前くらいになくなったそうだ。阿房宮游楽園を探しているときに道路標識に秦阿房宮旧跡というのがあった。それで秦阿房宮旧跡に行ってみた。そこはただの荒地に石碑がひとつだけあり秦阿房宮跡と書いてあった。周辺は普通の民家であり住宅地である。商店もないし観光客などもいない。30分ほど歩いたがなにもないのであきらめて帰ることにした。
午後からは地下鉄に乗って陝西歴史博物館に行ってみた。しかし今日は日曜日なので入場券受取の窓口の列が長くて見るのをあきらめた。歩いて大雁塔まで行きそこからさらに芙蓉園まで歩いた。しかし入園料が120元と高かったので入るのをやめて帰った。今日は午前も午後もはずれだった。夕方になって賈三灌湯包子という店に行った。羊肉包子を食べてみた。さすがに有名店だけあって美味しい。上海や香港の小龍包といったかんじだ。これならもっと早く来てればよかった。
秦城小巷客桟に帰ると馬くんが来ていた。受付の女の子と3人でおしゃべりをしながら日本のお金の話になったので私が財布から1万円札と5千円札と1千円札を取り出した。1万円札は福沢諭吉で教育者・文学者、5千円札は樋口一葉でよく知らないが女性の肖像は珍しいと、そして1千円札は野口英世で医学博士・ノーベル賞受賞者などと言ってしまったが、いまここでネットで確認すると野口英世はノーベル賞もらってないんだ。そーなんだ。知ったかぶりを言ってしまった。ごめんなさい。それからこの時に馬くんに阿房宮游楽園がなくなったことを教えてもらった。馬くんは日本の歴史を勉強しているらしく、しきりに日本の成功は明治維新だと言っていた。まあ確かに日本は明治時代に世界の先進国に追いつこうと頑張ったと思う。そしてある程度はその先進国に追いつけたと思う。その財産は今でも大きいと思う。中国がいけなかったのは清王朝のせいだとも言っていた。清の役人は腐敗していたと言う。1時間ほどおしゃべりをして私は馬くんにお茶屋の李さんに電話してもらうように頼んだ。前日と今日の2日間で何回かお茶屋の前を通ったのだが李さんは店を閉めている。李さんは7時頃に帰ってくると言うので私は馬くんと食事に出かけた。7時過ぎに李さんのお茶屋に行った。李さんに訊くとやはり商売が思わしくないようで店を閉めてアルバイトに出かけていると言う。1時間ほどお茶をごちそうになり黒茶とプーアル茶を買った。李さんには訊けなかったがこのまま店を閉めるつもりなのだろうか?
1人で宿に戻ると受付のところに同じ部屋のドイツ人おやじがいた。声をかけると昨日食べられなかったエビ料理をさっき食べてきたと大威張りで言っている。それは良かったねと言うと一緒にビールを飲もうと言うので受付横のテーブルで一緒にビールを飲んだ。ドイツ人おやじが言うにはエビ料理は美味しかったがビールが冷たくないのは許せないと、そう中国では冷たいものは身体に良くないと冷たい飲み物を飲む習慣があまりない。ビールを冷やしていない飲食店も多いのだ。それがドイツ人には考えられないようだ。2人でビールを飲みながら盛り上がっていた。部屋に戻ってからもウイスキーを飲んで完全に飲み過ぎた。頭がくらくらする。ドイツ人おやじは平気そうだ。そして同じ部屋の人が2人戻ってきたようだったが挨拶もそこそこにベッドに横になりぐっすり眠ってしまった。

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