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2016年5月

2016年5月25日 (水)

最終日

ぐっすりと眠れて快適な朝を迎えた。今日は最終日である。華山の筋肉痛もすっかりよくなった。9時に起きてまずは全身按摩をしてもらいに出かけた。ここにはほとんど毎日のように来てすっかり常連客のようになっている。お母さんはエステを勧めるが私にその気はない。1時間按摩をしてもらってすっかり体調がよくなった。身体はそろそろ日本食を欲しがっているが、これで旅行が終わるのではなく今から旅行が始まるとしてもいいくらいだ。いつものように青海美味餐館で遅い朝食をしてホテルに戻った。そしてリュックの荷物を整理して出発の準備をした。飛行機は夜なのでまだまだ時間はある。どこに行こうかと迷っていたが今日は大興善寺というところに行くことにした。ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらった。
地下鉄に乗って小塞駅で降りた。改札を出ると目の前に若いお坊さんがいる。もしかして大興善寺に行くお坊さんかな?と思ってあとをついて行くと、このお坊さんは人に道を訊ねながら歩いている。どうやら私と同じで初めて大興善寺に行くみたいだ。10分ほど歩くとお坊さんと一緒にお寺に到着した。40分ほどお寺を見学して外に出た。地下鉄に乗り鐘楼で降り西羊市街をぶらぶらして賈三灌湯包子で牛肉包子を食べて駅前に戻った。
少し早いがホテルで荷物を受け取り機場バスに乗って空港に向かった。飛行機は夜10時半出発なのにまだ6時半である。空港に早く着きすぎた。9時にやっと搭乗手続きが始まり出国審査と荷物検査を済ませ免税店で買い物をした。少しのんびりしながら搭乗口まで行くと人が少ない。5、6人しかいない。なんか変だぞと思ってチケットと搭乗口、そして電光掲示板を何度も確認するがやはりあっている。なんでだろう?不思議だな?と思っていると職員の女性が私を呼びに来た。どうやら搭乗口が変更になったらしい。変更になったのなら電光掲示板に搭乗口が変更になったことを知らせる案内があってもよさように思うが、それは日本人の考えなのだろうか?まだ呼びに来てくれただけでもありがたいのだろう。案内してもらって飛行機に乗るとすぐにドアが閉まり出発になった。どうやらまた最後になったらしい。

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2016年5月24日 (火)

西安陝西歴史博物館

良いベッドでぐっすり眠れた昨晩だったがバスタブがないのが残念だ。一番安い部屋にしたのが失敗だったのか?受付に行ってバスタブのある部屋があるのか訊いてみた。ビジネスルーム(商務房間)にはあるそうだ。1泊500元はまったくもって高いのだがまあ最後の日だからカード払いにして泊まることにした。6階から7階に引っ越しだ。まずは6階に行き掃除のおばさんに部屋のカギを開けてもらい荷物を出してエレベーターに乗った。7階のボタンを押してもなにもならない。3回も押してみたがやはりなにもならない。ちょうど従業員がいたので訊いてみると部屋のカードキーをエレベーターに読み込ませないと押せないようになっているそうだ。いつも安宿にしか泊まらないのでこんなことも知らなかった。ちょっと恥ずかしい。なんとか7階への引っ越しも終わり念願のバスタブにお湯を溜めて入ることにした。熱いお湯がたくさん出てきて湯船に入ると気持ちいい。幸せなひとときだ。目を閉じて今回の旅行を思い出しながらゆっくりと浸かった。さすがに1泊500元だけあって部屋は豪華だった。
今日は昨日見れなかった陝西歴史博物館に行ってみようと思う。2年前に一度行っているが入館無料なので再度行ってもいいだろう。駅前から30路の路線バスに乗って9時半に到着した。そうすると無料チケットの受取り窓口にはもう長い列ができていた。もしかすると昨日より長い列かもしれない。30分待ってようやく入館チケットをもらえた。中に入り日本語の音声ガイドを30元で借りて3時間で見て回った。何回来てもいいと思うが、休憩なしで見て回ったのでさすがに疲れた。帰りに青マンゴーを買ってちょっと遅い昼食を青海美味餐館でしてホテルに戻った。疲れたので再度バスタブに熱いお湯をためて本日2回目の入浴をした。身体にたまっている疲労が抜けていくようだ。身体がポカポカして気持よくなって風呂から出てベッドに横になった。
1時間ほど寝ていたようだ。起きてから盲人按摩店に行ってみたが、店が閉まっていて休憩中だった。予定が外れたのでまた性懲りもなく不安全な按摩に行ってしまった。しかし今回呼んでもらった女性はちょっと好みではなく、そして昨日大放出したせいもあってか不発に終わってしまった。なさけない。夕食にまた青海美味餐館に行った。かわいいお姉さんが日本のお金を見てみたいと言うのでお札を見せてあげて、そして100円、50円、10円、5円の硬貨をあげた。食堂も暇だったのでしばらくとりとめもない話をしていた。そしてうーんさっきの好みではない女性がこのかわいい女性だったらなと思わずも思ってしまった。

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2016年5月23日 (月)

西安按摩店

朝8時に起きて少し散歩をして胡辣湯を食べてからチェックアウトした。また駅前に戻り最後は少し贅沢に良いホテルに泊まろうと思い西安陽光大酒店に泊まることにした。一番安い部屋にしてもらって350元ほどだった。カードキーをもらって部屋に入るとバスタブがなかった。ちょっと残念である。受付で訊いとけばよかった。
筋肉痛はほとんど治まってきたが盲人按摩に行って全身按摩をしてもらった。そして散歩をしながら東五路を南に渡って歩行街を通り果物屋で青マンゴーを買って帰った。ホテルにスポーツジムがあると書いてあったので3階に行ってみると人が誰もいなかった。静まり返ったフロアを1人でうろつきながらやっと見つけた。なんか怪しい人物になったような感じだ。中に入るとやはり誰もいなく受付台のところに日付と部屋番号と氏名を記入する用紙があったのでそれに記入した。利用者は1週間に2,3人程度だった。利用者が少ないので器具の電源のコンセントも全て抜かれていた。自分で差し込むのも面倒なのでそのまま自転車に乗ってみた。15分ほど自転車をこいでいると掃除のあばさんがやってきた。いつもは誰もいないのであろう、人がいるのでちょっとびっくりしていた。それからまた少し自転車をこいで汗が出てきたのでやめて部屋に戻りシャワーをした。
それから街に出て歩いていると店先に立っているお姉さんが声をかけてきたので少し会話をしながら不安全な按摩に入ってみた。期待していたが普通の按摩を10分くらいしてくれて30元でこれで終わりだと言う。10分で30元はちょっと高すぎるがまあしかたない。素直に30元払って出てきた。やられた。これでなんとなく自分の中で抑え込んでいた欲望に火がついたのだろう。また不安全な按摩の前を通り声をかけてきたので入ってみた。今度は按摩に300元必要だと言う。まあ不安全なほうでまともそうだ。それ相応の相場だろう、と言うかこの300元は他の中国の物価上昇率からいうと何年間もずっと据え置きのままなのである意味もう少し値上げしてもいいくらいだと思う。声をかけてきたのは30代後半の女性だったが電話をして弟子なのか?若い女性を呼んでくれた。中国に来てほぼ1カ月間たまっていたものを出してしまった。
そして夕方にはまた青海美味餐館に食べに行った。そして宿に戻り青マンゴーを食べてみた。甘さはそんなにないのかもしれない。でもマンゴーなのでやっぱり美味しい。

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2016年5月22日 (日)

西安阿房宮

朝食を済ませ今日は阿房宮へ行ってみようと思う。阿房宮とは2000年以上もの昔に秦の始皇帝が建設していた大宮殿である。残念ながら現在は残っていないがその跡地に行ってみようと思う。宿の受付の女の子に聞くとこの阿房宮は西安ではアーバンゴンと言うらしい。中国標準語だとアーファンゴンだと思う。意味は西安方言でアーバンとはあっち(の方向)のことを指すらしい。ようするにあっちの宮殿と言うことらしい。確かに阿房宮は西安の街から少し離れた所にある。昨日買った西安の地図で路線バスを確認すると2回ほど乗り換えをしないと行けないようだ。さっそく西大街から路線バスに乗って阿房宮に向かう。しかしバスを早く降りてしまってまた次のバスに乗ったり、地図に書いてある路線バスが全く来なくて、しかたなく別のバスに乗ってまた乗り換えたりと、苦労しながらようやく阿房宮に到着した。やっとのおもいで到着したのだが阿房宮游楽園らしきものはなかった。30分ほど探してみたが見つからなかった。後から聞いたのだが結果から言うと2年前くらいになくなったそうだ。阿房宮游楽園を探しているときに道路標識に秦阿房宮旧跡というのがあった。それで秦阿房宮旧跡に行ってみた。そこはただの荒地に石碑がひとつだけあり秦阿房宮跡と書いてあった。周辺は普通の民家であり住宅地である。商店もないし観光客などもいない。30分ほど歩いたがなにもないのであきらめて帰ることにした。
午後からは地下鉄に乗って陝西歴史博物館に行ってみた。しかし今日は日曜日なので入場券受取の窓口の列が長くて見るのをあきらめた。歩いて大雁塔まで行きそこからさらに芙蓉園まで歩いた。しかし入園料が120元と高かったので入るのをやめて帰った。今日は午前も午後もはずれだった。夕方になって賈三灌湯包子という店に行った。羊肉包子を食べてみた。さすがに有名店だけあって美味しい。上海や香港の小龍包といったかんじだ。これならもっと早く来てればよかった。
秦城小巷客桟に帰ると馬くんが来ていた。受付の女の子と3人でおしゃべりをしながら日本のお金の話になったので私が財布から1万円札と5千円札と1千円札を取り出した。1万円札は福沢諭吉で教育者・文学者、5千円札は樋口一葉でよく知らないが女性の肖像は珍しいと、そして1千円札は野口英世で医学博士・ノーベル賞受賞者などと言ってしまったが、いまここでネットで確認すると野口英世はノーベル賞もらってないんだ。そーなんだ。知ったかぶりを言ってしまった。ごめんなさい。それからこの時に馬くんに阿房宮游楽園がなくなったことを教えてもらった。馬くんは日本の歴史を勉強しているらしく、しきりに日本の成功は明治維新だと言っていた。まあ確かに日本は明治時代に世界の先進国に追いつこうと頑張ったと思う。そしてある程度はその先進国に追いつけたと思う。その財産は今でも大きいと思う。中国がいけなかったのは清王朝のせいだとも言っていた。清の役人は腐敗していたと言う。1時間ほどおしゃべりをして私は馬くんにお茶屋の李さんに電話してもらうように頼んだ。前日と今日の2日間で何回かお茶屋の前を通ったのだが李さんは店を閉めている。李さんは7時頃に帰ってくると言うので私は馬くんと食事に出かけた。7時過ぎに李さんのお茶屋に行った。李さんに訊くとやはり商売が思わしくないようで店を閉めてアルバイトに出かけていると言う。1時間ほどお茶をごちそうになり黒茶とプーアル茶を買った。李さんには訊けなかったがこのまま店を閉めるつもりなのだろうか?
1人で宿に戻ると受付のところに同じ部屋のドイツ人おやじがいた。声をかけると昨日食べられなかったエビ料理をさっき食べてきたと大威張りで言っている。それは良かったねと言うと一緒にビールを飲もうと言うので受付横のテーブルで一緒にビールを飲んだ。ドイツ人おやじが言うにはエビ料理は美味しかったがビールが冷たくないのは許せないと、そう中国では冷たいものは身体に良くないと冷たい飲み物を飲む習慣があまりない。ビールを冷やしていない飲食店も多いのだ。それがドイツ人には考えられないようだ。2人でビールを飲みながら盛り上がっていた。部屋に戻ってからもウイスキーを飲んで完全に飲み過ぎた。頭がくらくらする。ドイツ人おやじは平気そうだ。そして同じ部屋の人が2人戻ってきたようだったが挨拶もそこそこにベッドに横になりぐっすり眠ってしまった。

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2016年5月21日 (土)

西安博物院

朝に駅前を散歩しながら西安の地図を買った。そして西安空港行きのバス乗り場を確認した。そろそろ今回の旅行も終わりが近づいてきている。いったん宿に戻りそれから盲人按摩に行った。まだ筋肉痛は残っているが普通に歩けるようにはなってきた。脚をマッサージされるとまだ痛い。この按摩店は母親と息子の2人でやっていて、息子のほうがマッサージで母親のほうがエステをしているようだ。母親が私にエステをしないかと勧めてくれるが私にエステなんて必要はないので断った。
それからかわいい女性のいる青海美味餐館に食べに行った。昨日は蘭州炒飯というのを食べてみたがあまり美味しくなかったので今日は炒麺にした。炒麺は日本でいうと五目焼きそばみたいなものだが私はスパゲティに近いような気がする。中国の一品料理を湯がいた麺の上にのせればそれで○○炒麺の出来上がりなのである。中国では外国の料理店をほとんど見かけないので庶民が行くようなイタリア料理店があるのかわからないが、もし見かければぜひ行ったみたいと思う。
宿をチェックアウトしていつもの秦城小巷客桟に引っ越しをした。なんかここにくると帰ってきたという安心感がする。家に戻ってくるような感じだ。受付の女の子に2泊すると言って空いてる部屋を探してもらった。5階の部屋が空いているそうだ。ここはエレベータがないので5階までの階段の昇降は筋肉痛の今の私にとっては少々つらいものがある。2階の部屋が空いてないか訊いてみたが空いてなかった。3階は欧米人用で大きいベッドだそうだ。4階は個室があるそうだが4階も5階もたいした違いはない。結局5階の8人部屋のドミトリーに泊まることにした。ベッドのシーツをもらってリュックを背負って階段を上っていく。これだけでたいへんだぞー。
地下鉄に乗って体育場で降りて西安博物院に行った。ここは前から来たいと思っていた場所だ。庭に噴水があって立派な建物である。それに何と言っても無料なのがうれしい。さっそく中に入ってみた。1階が瓦とレンガそして唐時代の俑と仏像。2階が秦時代の解説と宝玉。地下1階が青銅と陶器そして人型俑。2時間ほどで見終わった。陝西歴史博物館と比べると展示品は確かに見劣りはするが人も少なくゆっくり見れるので西安博物院も良いと思う。それから小雁塔に少し寄り地下鉄に乗って帰った。
宿に戻り馬くんに電話するも友人の結婚パーティに出席中とのことだった。部屋に戻るとドイツ人のおやじが1人いた。陽気なおじさんでしばらく話をしていた。話といっても私がドイツ語を話せるわけでもなく、また相手が日本語を話せるわけでもなく、なんとなく英語やちょっとした知ってる単語を並べて言っているだけだ。それに身振り手振りを付け加えている。どうやら西安にくる前に北京にいて、その前に大阪、京都、東京に行ってきたらしい。私に撮ってきた写真を見せながら
いろいろ解説をしてくれた。それから1階に行き受付の女の子にエビ料理の店を訊いていた。どうやら鐘楼近くの開元商城にあるらしいのだが、ドイツ人おやじ1人で行ってその店を見つけられるのかな?と思っていたが、後で訊くとやはりたくさんの人がいてもうわけがわからなくなって店を探すどころではなくなって帰ってきたと言っていた。中国の人の多さにびっくりしていた。

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2016年5月20日 (金)

西安休養日

朝起きると足が筋肉痛である。特に左足が痛い。階段を降りるとき左足に体重をかけると痛くて歩けない。普通に歩くだけならなんとか歩ける。お腹が減ってるので何か食べようと思って宿を出た。この辺りの駅周辺は何度も来てるのだが裏道の方には行ったことがない。そこで城壁の東北角あたりから少し散歩することにした。城壁沿いの通りは空き地が多く商店もなく人通りも少ない。城壁から少し中にはいるとだんだん商店などが多くなってくる。東六路と尚愛路との交差点付近に青海美味餐館という店があったので入ってみた。店の壁に写真つきのメニューがあったのでそれを見ながら指で注文した。ここの女性がすごくかわいい。清真の頭のスカーフみたいなのが良く似合っている。この店の老板の奥さんだと思うがはっきりとはわからない。どうやら一族数人で経営しているようで男性2人と女性2人とおじいちゃんとおばあちゃんと子供が4人いる。私が日本人だと知ると店の主人らしい男性が私に向かって「ミシミシ」と言ってくる。中国ではこの言葉はよく聞く。私も何の事を言っているのかくわしくないのでよくわからないが、たぶん中国で頻繁に放送されている戦争映画やドラマの影響だと思う。その中で日本軍兵士が言っている言葉のようだ。意味は飯がミシになったように思われる。だからこの店の主人も私に「飯を食べに来たのか?」と言いたかったのだろう。まあ私の勝手な解釈だが。なんかとても雰囲気のいい店だ。なにより奥さんがかわいい。店を出てさらに南に向かって歩く。東五路を渡ると尚倹路は歩行街なっていた。そして東新街を城壁のほうに向かって東に行くと中山門あたりはお土産物を売っている店が並ぶ。そこからさらに城壁沿いを南に行くと長楽門(東門)に出た。東岳廟は閉まっていて入れないようだった。その隣は東門美博城という女性中心の商店街になっていた。そしてその隣に永興坊という中国の昔の建築を再現した食堂街になっていた。食事をしなくても見て回るだけでも楽しい。ここは観光客も多かった。さらに南に進んで行くと城壁の東南角あたりは市場になっていた。市場の中では多くの人が買い物をしていた。ここまで来るのに2時間以上かかった。帰りに果物専門店があったので青マンゴーという大きな青いマンゴーを買った。300円くらいで少し高いがその分大きい。洗車場をいくつか見かけた。今まであまり見たことはなかったが中国内で最近増えてきたのだろうか?それとも乾燥した内陸地特有の砂埃の影響なのだろうか?
宿に戻り少し休憩してから昨日行った盲人按摩店に行った。ここの若い男性の按摩はなかなか良い。足のふくらはぎのマッサージの時にはかなり痛かったが我慢した。もう少しで痛痛痛(トントントン)って叫ぶところだった。この筋肉痛は2、3日治りそうにない。華山に行く前には日数が余りそうなので漢中かどこかあとひとつ行ってみようと思っていたがどうやらそんな状況ではなくなったようだ。

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2016年5月19日 (木)

華山

最初はそんなに人はいなかったのだが登るにつれてだんだん多くなっていき平日だというのに多くの人が歩いて登っていた。女性だけのグループも結構いた。食堂や店屋が多くあり、そこでみんな休憩しながら登っている。始めは階段はほとんどなく坂道が中心である。2時間ほど登ると坂道が終わり階段になる。休憩をしながら4時間ほど登ると北峰に到着した。日付は変わって午前2時前だ。歩いて登っているのは若い人が多く20代30代がほとんどだと思う。北峰に到着する前あたりからもう大勢の人がいて、叫んでいる人や騒いでいる人、寝袋やテントで寝ている人もいる。ここまでもゆっくり登ってきたつもりだが、さらにペースを落として休憩を多くとりながら東峰をめざした。私は半そでのTシャツに短パンだったのですごく寒かった。ほとんどの人が上着を着ているジャンバーは必要だ。夜の山は冷える。着替えのTシャツも重ね着した。4時過ぎに東峰の観日洞に到着した。日の出まで1時間以上あった。上着の貸し出しがあって借りようか迷ったが身分証の提示や返却の仕方などいろいろ面倒なようなので、中国語がわからないまま借りるのもちょっと嫌なので1時間体操をしながら身体を冷やさないようにして待った。5時前には明るくなってきて5時半頃の日の出だった。水とクッキーはもうほとんど残っていない。東峰から南峰をめざし天空桟道は通らずに南峰頂上に行き、それから西峰頂上に行った。山の上からの景色はすばらしい。この景色を見ていると疲れなんて吹っ飛んでしまう。とは言っても足がずいぶん疲れてきた。もう8時になっている。そして帰ることにした。下りの階段はよけいに足に負担がかかる。北峰まで戻った頃にはもう足が疲れ切っていた。休んで足をマッサージするが痛みがとれない。階段部分が終わり坂道になり足の負担は少なくなったが、それでも坂道部分がこんなに長かったのかと思うほど終わらない。登るときにはなんとも思わなかったのだが、途中何度も休憩しながら坂道を下って行った。西安から来たというカップルがいたのでずっと一緒に下っていた。1人よりも会話しながらの方が気が紛れて疲れも感じにくくなる。このカップルも昨日の16時から歩いていて足を引きずりながらやっと歩いている。私も12時間以上歩いている。昼の12時頃にやっと到着した。これで東岳泰山に続き西岳華山も登頂した。南岳衡山はツアーの車で登ったが一応は行っている。残るは中岳嵩山と北岳恒山だ。
宿まで行き荷物を受け取った。下山している時には荷物を受け取る前に湯船のあるホテルを探しゆっくり休憩しようと思っていたが、今となっては足が痛いので宿を探すのもたいへんだ。すぐ目の前にいる西安行きのバスに乗って西安に戻ってからにしようと思いリュックを背負ってバスに乗った。バスではほとんど寝ていた。バスは西安駅北口に到着し駅近くのホテルに泊まった。一泊100元で湯船はついていなかった。宿の受付で按摩店がないか訊くと宿のおばちゃんがたくさんあるよーって、宿の隣に足浴と書いてある店があったので隣は按摩もしてくれるのか訊いてみたら按摩店ではないと言う。この辺は不安全な按摩店ばかりだと言う。しかたないので盲人按摩はないか訊いてみた。すると近くに1軒だけあると言うのでそこに行って全身按摩をしてもらった。ここの按摩は良かった。それから夕食にして寝た。あー今日は疲れた。

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2016年5月18日 (水)

西安から華山へ

朝7時に起きてバス乗り場に向かう。途中で馬くんお勧めの胡辣湯があったので食べてみる。野菜スープの具だくさんといった感じで安くて美味しい。それから西大街に出て45路バスに乗り興慶宮公園に行った。公園の中に入ると朝からたくさんの人がいる。ほとんどは高齢者の方たちだがダンスをしたり太極拳をしたりさまざまである。1時間ほど歩いて池を一周して外に出た。行く前にはガイド本を見て阿部仲麻呂の記念碑があると書いてあったので行ってみようと思っていたのだがすっかり忘れていた。
宿に戻り出発の準備をしてチェックアウトして地下鉄に乗った。北大街駅で地下鉄2号線に乗り換えて終点の北客駅まで行った。地下鉄の北客駅と高速鉄道CRHの西安北駅がつながっているらしいのだが乗り換えの標識などがなく高速鉄道への乗り換えに迷子になってしまう。こういうのはやはり日本の標識案内は非常に親切に出来ていると思う。高速鉄道CRHの自動券売機はあったのだがどうやら外国人には使えないらしい。乗り換えがわからないのでいったん外に出ようと思って外に出るとやっと高速鉄道CRHの切符売場があった。窓口でパスポートを提示して華山行きの切符を買った。列車の発車まで1時間近くあった。駅ビルは新しくきれいだった。待合室で30分ほどぼんやりとしながら待っていたら発車20分前に改札が始まった。列車は西安北駅発鄭州行きだったのだろうか?すでにホームに停まっていた。30分ほどで華山に到着した。高速鉄道CRHは快適だったのだが待ち時間や乗り換えの煩雑さなどを考えると西安駅前からバスで華山まで行ったほうが良かったのかもしれない。高速鉄道CRHの華山駅を出て南に少し歩いて行くと路線バスが停まっていてそれが華山游客中心行きのバスらしいので乗った。路線バスは終点の華山游客中心まで行ったのだが私の思っていたのとはずいぶんイメージが違っていた。なにもない場所にポツンと華山游客中心だけが建っている。まわりはなにもない。宿も食堂も店屋などなにもない。ここで重いリュックを背負ったまま歩くのはちょっと無理だぞと思っていたら、おばちゃんが1人近寄ってきて宿を紹介するという。ついて行って良い思いをしたことがあまりないので1回は断ったのだが、そうはいっても行く当てもないしこのままここにいるわけにもいかない。少し歩いてみたが近くにはなにもなさそうだった。10分ほどしておばちゃんが再度近寄って来て、宿を紹介するというのでついて行くことにした。おばちゃんがどこから山に登るんだって訊いてくるので北峰ロープウェイで明日の朝に登ろうと思っていると答えた。そしたら車に乗れと言うので車に乗ると西の方に走り出した。全然違う方向じゃないかと思いながら、しばらくすると宿や店屋が並ぶちょっとした繁華街にやってきた。宿を見せてもらうと個室が100元だという。古くてお世辞にもきれいとはいえなが一応トイレとシャワーはついている。100元は少し高いと思ったがここに泊まることにした。それから外に出て街を散歩してみた。どうやらここは玉泉院というところらしい。華山に歩いて登山する登り口にある街だ。それで古い宿が多いのだろう。現在は北峰ロープウェイと西峰ロープウェイがあるのでそちらのほうがメインになっているんだと思う。1時間ほど街を散歩して宿に戻ってシャワーをした。そしてベッドに横になって休んでいるとふと昨日馬くんが言ってた「ぼくも華山にいったことがある。夜に歩いて登って日の出を見て歩いて降りてきた。」というのを思い出した。そしたら急にそうだここは歩いて登るところなんだから歩いて登らなきゃっていう気持ちになってしまった。自分でも不思議なんだけど一度思うともうその気になってしまって、夜に出発するためには今から少し寝ようと思いまだ午後3時くらいなのに寝ることにした。横にはなったがなかなか熟睡することはできなかった。20時ころにベッドから出て買い物に出かけた。スーパーで水とクッキーを買って、それから地図を売っているおばちゃんがいたので地図を買った。そしたら軍手も必要だから軍手も買ってくれという。まあ地図が2元で軍手も2元だと言うので安いので軍手も買った。そしたら頭につける電灯も買ってくれという。値段を訊くと10元だという。まあ暗くて困ることがあるより買っといたほうがいいだろうなと思い買った。結果からいうと電灯は必要なかった。軍手は非常に役に立った。宿に戻りタオルとシャツの着替えと貴重品を持って、その他の荷物は宿に預けて21時半に出発した。

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2016年5月17日 (火)

茂陵博物館と楊貴妃墓

宿の受付で茂陵博物館と楊貴妃墓に行くと言ったら馬嵬にも行くといいと教えてくれた。どんな所かわからないが、どうやら楊貴妃墓の近くにあるらしい。チェックアウトをして荷物を預かってもらいさっそく出発した。バスターミナルに行くと茂陵博物館行きのバスがいなくて楊貴妃墓に行く1路バスがいたので先に楊貴妃墓に行くことにした。この道は昨日バスで扶風から興平に来るときに通った道だ。30分ほどすると楊貴妃墓の前で運転手がバスを停めてくれた。8時に到着したが入口が閉まっていた。8時半開始とある。朝食がまだなのでどこか食べるところがないだろうかと思って来た道を戻りながらしばらく歩いてみた。通り沿いに店はなく5分ほど歩くと馬嵬というところに出た。この辺が宿の人が言ってた場所なのかなと思って山の方に向かって歩いてみた。しかしなにもないような所だ。山の上の方になにか公園らしいものがあるが途中の道が工事中で通行禁止になっていた。歩いている人にも出会わないので引き返すことにした。屋台が少しあったが食べる気にはならず時間もそろそろ8時半になってきたので楊貴妃墓に向かった。入場料45元を払って中に入ってみた。中には楊貴妃の墓とちょっとした展示場所と少し見晴らしの良い楼閣があった。45元は少し高いようにも思うがまあ有名な人なのでそんなものなのかもしれない。40分ほどで外に出た。楊貴妃墓の前から1路バスに乗って興平バスターミナルに戻った。
バスターミナルには茂陵博物館行きのバスがいたので乗った。茂陵博物館は茂陵の近くにあって霍去病の墓がある。少し説明をすると茂陵とは中国前漢時代の7代皇帝の武帝の墓である。武帝は高祖劉邦が匈奴との戦争に敗れて以来続いていた匈奴への物資を貢ぐ政策を良しとせず、匈奴と対抗できるだけの軍事力を確保し匈奴に勝とうとした人物である。この武帝が想い描いた匈奴との戦いに活躍したのが衛青であり霍去病である。特に霍去病は弱冠20歳そこそこながら匈奴を次々と撃破していき漢の北西領土を飛躍的に拡げた人物である。武帝の寵愛を受け軍事の天才と言われた霍去病だが24歳の若さで病没してしまう。武帝がどれだけ悲しんだことであろうか。まずは展示室に行って中を見学した。それから霍去病の墓を見て高台の楼閣に上った。遠くを眺めると茂陵らしき小高い丘が見える。ふと空をみると1か所だけ雲の色が虹色になっているところがある。なんだろう?ここは飛行場が近いから飛行機の低空飛行のせいかな?とか思ってみる。45分ほどで外に出た。バスを待っていると来るときに乗ったバスがやってきた。それに乗って興平バスターミナルまで戻った。
宿で預けていた荷物を受け取りバスターミナルで咸陽行のバスに乗った。本当は西安行きのバスに乗るつもりだったが咸陽行きの路線バスがいたので路線バスだとなんか安そうな感じがしてつい乗ってしまった。まあ咸陽の街にも行ってみたいという気持ちもあったのかな?路線バスは6元で1時間ほどで咸陽に到着した。さてここで1泊するのかそれとも西安まで行くのか。そう思っていると咸陽駅行きの路線バスがいたのでとりあえずそれに乗った。駅に着くと駅前はちょっとしたバスターミナルになっていて西安行きのバスもあった。咸陽でどこに行こうかと考えているとあまり行きたい場所も思い浮かばなかったのでやっぱり西安に行くことにした。駅前から西安行きの路線バスに乗った。バスは渭河を渡り途中でガスの補充のため10分ほど停まった。軽油ではなくガスのようだ。看板に天然気加気と書いてある。日本のバスだと乗客がいるときにガソリンスタンドに寄ったりはしないが中国ではよくある。城西バスターミナルで降りて、そこから地下鉄に乗って洒金まで行きいつもの秦城小巷客桟に泊まることした。
少し散歩しながら李さんのお茶屋に行ってみたが店は閉まっていた。次に按摩店に行ってみたが先客がいたので宿に戻った。宿の受付で日本語の勉強をしている女の子と日本語で会話をする。しばらく会話してから、受付の女の子に馬くん宛に電話をしてもらった。馬くんはすぐに来た。馬くんがメルトモの日本人のともちゃんという女性に電話をしてくれた。どこで知り合ったのかしらないが3週間前にもこのともちゃんに電話をして私も電話で少し会話をした。この方は西安にいるらしくその時に私が西安に戻ってきたら食事でも一緒にしましょうと言っていた。残念ながらともちゃんは現在日本に戻っているとのことだった。それから馬くんがスポーツジムに行くというので私も一緒に行きスポーツジムを見せてもらった。秦城小巷客桟のすぐ前にあり住宅の4階だった。夜間のテレビCMで見かけるような運動器具をいくつかそろえている所だった。それから馬くんと食事に行った。馬くんは回族の清真教徒なのでアルコールや豚肉は口にできないらしい。野菜を中心とした炭火焼きで香辛料がよくきいていて美味しかった。私だけビールを飲むわけにもいかないので水にしたが、頭の中ではビールと焼き鳥がかけめぐっていた。

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2016年5月16日 (月)

法門寺

7時前にチェックアウトしようとホテルのフロントに行った。受付の女の子2人と男性1人はまだ寝ていた。申し訳ないが起きてもらってチェックアウトした。それからバスターミナルまで歩いて行った。窓口で扶風行きの切符を買うと7時50分発だった。出発までに少し時間があるので朝食を食べようと思ってぶらぶらしていると肉まんを売っていたので肉まんと豆乳を買った。バスの座席は一番前だった。バスターミナルを出ると高速道路を通って扶風に向かった。9時半頃に扶風に到着した。バスターミナルの前で法門寺行きのバスに乗り換えて10時頃に法門寺に到着した。ガイド本の解説によればここ法門寺は1987年に明代に建てられた仏塔を再建する際に1100年あまり密閉されていた地下宮殿が見つかり、そこから多くの貴重な仏教文化財が発見されたそうだ。その中のひとつが指の仏舎利といわれている。世界的な発見といってもいいと思う。
法門寺の中に入りまずは重いリュックを預けるところがないか探してみた。ここは1日何千人と来るような有名な寺なので荷物を預けるところくらいあるだろうと思っていたが入口付近では見つからなかった。警備の人に訊いてみたが知らないと言う。博物館のほうに警備室があったのでそこに行ってみるとカギが閉まっていた。そのとなりに消防室があったので中に入ってみると女性2人がいた。近くに荷物を預かってくれるところがないか訊いてみたが知らないと言う。がっかりして外に出ようとすると「ちょっと待って」というので振り返ってみると「貴重品はバッグの中にないか?」と訊いてきたので「ない」と答えると「それならここで預かってあげるわ」と言うのでお願いした。とてもありがたい。身軽になったのでさっそく博物館に入ってみた。ここの博物館は展示品の数は多くはないが、とても貴重なものが見れたと思う。贅沢を言えば指の仏舎利を見ることができれば良かったのだが残念ながらそれはできなかった。合十舎利塔まで歩いて行って戻ってきた。12時頃に消防室に行くとカギが閉まっていた。まあ急いでいるわけではないので再度博物館を見に行って30分後に消防室に戻ったが、まだカギは閉まったままだった。そうすると横の警備室から警備員が出てきて私を不審者と思ったのか声をかけてきた。事情を簡単に説明するとわざわざ消防の人に電話をしてくれて呼んでくれた。急いでいるわけではないので、そこまでしてくれなくてもよかったのだが、消防の人はすぐ近くにいたらしく3分もしないうちに戻ってきてくれた。お礼を言って荷物を受け取り外に出た。本当にありがとうございました。
法門寺を出ると帰りのバスがいなくてしばらく歩いた。10分ほど歩いてやっと扶風行のバスを見つけた。扶風に到着して扶風のバスターミナルの窓口で興平行きの切符を買おうとしたら西安行きのバスに乗りバスの中で払いなさいと言うのでバス乗り場に向かった。西安行きのバスは2台いて1台は高速バスである程度良い大型バスだった。もう1台はオンボロの中型バスだった。まあ途中の興平で降りるので当然のことながらオンボロバスの方だ。バスに乗り興平までと言ってお金を払った。乗客は私1人だけで出発した。少し街の中を客探しのため回っていたが乗客もいなく私1人を乗せたまま西安方面に向かった。30分ほど走ると運転手がバスを停めて屋台で食事を始めた。どうやら行きつけの店らしい。私も昼食をまだ食べていなかったので、バスから降りて運転手と一緒に食事をした。擀皮面というものらしい。冷たい麺にちょっとした具をまぜてタレで食べる。冷やし中華の簡単なものといった感じなのだろうか?辣醤の味が濃いので私にはもっと薄味の方がいい。バスに戻りしばらく走るとやがて1人2人と乗客が増えてきた。30人乗りくらいのバスなのでまだまだ空席が多いのだが。それでも2時間半ほどで興平の街に到着した時にはバスはほぼ満席になっていた。
興平のバスターミナルの近くの宿にした。シャワーをして少しくつろいでから街に散歩に出かけた。盲目按摩店を見つけたので全身按摩をしてもらった。その後マンゴーを買って宿にもどった。夜暗くなるのが早くなってきた。20時頃には薄暗くなってきた。敦煌にいる時などは20時といえばまだまだ明るかったのに。

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2016年5月15日 (日)

五丈原諸葛亮博物館

宝鶏西バスターミナルへ行き蔡家坡行きの切符を買った。7時45分の定刻よりも5分ほど早くバスが満員になり出発となった。今日は五丈原諸葛亮博物館に行く予定だ。出発前に宿をチェックアウトして、五丈原諸葛亮博物館を見学した後に、そのまま扶風に行こうかとも考えたが、宝鶏に戻ることにした。理由はやはり荷物を持っての観光地はできるだけ避けたかったからだ、あと日程的にも少し余裕があるので無理する必要がなかったからだ。でも実際に行った後になってみると扶風まで行かなくとも蔡家坡で1泊するほうがよかったような気がする。蔡家坡はそこそこ大きな街で宿を探すのにもそんなに苦労しなくて済みそうだったし、蔡家坡のバスターミナルからは扶風行きのバスの他にも各方面にバスが出ていた。話を元に戻して、満員になったバスは高速道路を通り1時間ほどで蔡家坡のバスターミナルに到着した。バスターミナルの窓口で五丈原諸葛亮博物館に行きたいと言うと原上行きの切符を渡してくれた。約4元だった。バス乗り場に行き原上と書いたバスがいないか探してみた。しかし見つからなかった。行き先を書いてある看板にも原上の文字はなかった。しかたないので職員らしき人に切符を見せながら原上行きのバスはどこかとたずねてみた。しかし返ってきたのは知らないという言葉だった。近くにいる数人にきいてみたが誰もしらないと言う。私が五丈原諸葛亮博物館に行きたいと言うとやっと一人の人がそれなら一番向こうの東端にある鶏坡・四塬行き乗り場で待っていろと言うので、そこで待つことにした。しばらく待っているとバスがやってきた。運転手に切符を見せて五丈原諸葛亮博物館に行くか確認すると、乗れと言うのでバスに乗った。私とあと1人の2人だけを乗せてバスはすぐに出発した。いつもなら座席の半分以上の乗客がいないとなかなかバスは発車しようとしないのに、いくら小型のバスとはいえ座席が12ほどあるのにいいのかな?と思っていた。バスターミナルを出ると1人、2人とバスに乗りすぐに満員になってしまった。それでもまだ乗ってくるから乗客が20人ほどになった。もうこれ以上は無理だろうなと思っていたらまた3人乗ってきて、私も子供を1人ひざの上に乗せて身動きできないままバスは街から郊外に出て山を登り始めた。カーブで身体が振れると通勤ラッシュの電車を思い出す。乗客が2人降りたところで運転手が降りろと言うので私も降りた。どうやらここが博物館のあるところらしい。蔡家坡から30分ほどで到着した。しかしバスから降りたところには博物館らしき建物はなかった。男性がひとり椅子に座っているだけだった。その男性に諸葛亮博物館はどこか?と訊ねるとすぐそこだと指差している。その方向を見てみるとたしかに民家の塀らしきものがあり細い道が続いていた。私が不安げにそちらの方向に歩きだすと男性もうなづいている。細い道を通り回りこんで行くとちょっとした広場に出てそこが博物館の入口だった。門票は35元だった。中に入るとガイド本に書かれている岳飛が刻んだと伝えられる出師の表があった。しかし拓本の作業中でゆっくり見ることはできなかった。その奥に進むと諸葛亮衣冠塚という石碑があり土が盛られていた。40分ほどで外に出た。ここは見晴らしが良く遠くまでよく見通せる。北側には街が見え、西側には台地が続いている。この景色が見れただけでも来て良かったと思う。バスを降りた所でバスを待っていると、やがてバスがやって来た。来るときに乗ったバスと同じバスだった。
蔡家坡に到着し今日は朝から何も食べていなかったので、少し街を散歩しながら包子を買って食べた。本当はもっとちゃんとした食事をしたかったのだが気に入った店に出会えなかった。大通りに出ると宝鶏行きのバスが来たので手を上げて停まってもらった。料金を支払うと10元だった。来るときにはたしか16元くらい払ったので最初はなんで?と思ったがすぐにそうか高速道路を使わないで普通の道を行くんだなと思った。やっぱりその通りだった。まあ急ぐわけでもないしゆっくり戻っても問題はなかった。途中高速道路の入口付近でトラックが煙を出して燃えていた。消防車のサイレンの音も聞こえている。黒煙は空高く上がり道路は渋滞していた。
宝鶏に戻り西紅柿鶏蛋麺を食べた。トマトとタマゴを炒めた料理だ。私はこれが好きで中国ではよく食べている。日本ではあまり見たことないが中国ではよく見かける。それから路線バスに乗り炎帝陵に向かった。炎帝陵の入口がよくわからなくて乗り過ごしてしまい終点から1駅だけ歩いて戻った。炎帝陵はまだ案内の看板が出ていたので李広墓ほどではなかったが、閑散としているのは同じである。人通りのほとんどない山道を登っていくと1時間ほどで炎帝陵に到着した。中にもほとんど人はいない。日曜日でこれだけ少ないと平日はどうなってるんだろう?山の上なので多少見晴らしは良いが、まあはっきり言ってわざわざ来る価値はほとんどなかった。
宿に戻ってシャワーをしてそれから洗濯をして散歩に出かけた。歩行街を通り鉄道駅の東側まで行った。昔は按摩街だったような所を抜けて大通りに出た。最近は街で按摩街をほとんど見かけなくなったような気がする。やはり減っていっているのだろうか?ちょっと寂しい気もする。昨日と同じ宿の近くのパン屋に行ってパンを買った。お金を払うと5元の割引券をくれた。ここは20元以上の買い物をすると割引券をくれるようだ。それからちょっと面白い超市のおばちゃんとこでマンゴーとヨーグルトを買った。何が面白いかというと、ここのおばちゃんは私が買いにいくといつも独り言のように私に話しかけてくるのだ。例えばマンゴーを買うとマンゴーマンゴーマンゴーとかリズミカルに歌を歌うように話しかけてくる。どう返答すればいいのかわからないので私もいつも笑っているだけなのだが。宿に戻ってパンとマンゴーの晩御飯にした。

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2016年5月14日 (土)

宝鶏へ移動

朝起きて牛肉麺を食べて散歩をする。それからホテルをチェックアウトしてバスターミナルに向かった。8時20分に到着したが宝鶏行きのバスは9時出発だそうだ。バスの座席は1番だった。豪華3人掛けの椅子のバスで1番前の座席だった。2階建てバスではないが運転席が下にあり座席がすべて上にあるバスだった。1番前なので見晴らしが良い。乗客は少なくほとんどの座席が空いていた。秦州区から麦積区に寄り、そこからは高速道路だった。高速道路はトンネルが多く、窓からの景色は良くなかった。速度違反を取り締まる装置があるらしくその手前でバスは急激にスピードを落とす。その装置が頻繁にあるらしくバスは速度を上げたり落としたりの繰り返しである。12時半頃に宝鶏に到着した。宝鶏西バスターミナルから繁華街の方に歩き経二路沿いの宝星商務酒店という宿にした。158元と少し高かったが部屋が良かったのでここにした。
まだ昼過ぎなので金台観に行くことにした。そんなに遠くなさそうだったので歩いて行くことにした。鉄道の線路の下をくぐり抜けて金台観の山を登っていくと見晴らしがよくなってきた。宝鶏の街が見渡せる。どうやら金台観にある道観は工事中らしく入れないようだった。それでもどんどん登っていくと山の頂上らしい台地に出た。ここはどうやら飲食店街になっているようだ。多分行政がここを開発して飲食店を山の上に呼び寄せたのだろうと思われるが、しかし客はまばらでほとんどいない。とても採算がとれているようには思えない。何十軒と飲食店はあるが、メインの通りには人の数はほんの数人程度しかいない。レンタルの自転車やバギーバイクなどを通りにたくさん置いているが使われている様子はない。よほどのことがない限り、あと数年もすればなくなってしまうのではないだろうか?それとも夜になればたくさんの人でにぎわうのだろうか?そんな閑散とした通りを30分ほど歩いた。この山の上の台地はかなり広い。山の上から自分の泊まっている宿はどのへんかな?と探しながら眺めていた。山を下りて繁華街に戻った。全部で3時間ほど歩いた。
宿の近くで美味しそうなパン屋さんを見つけた。女性がたくさん並んでいる。久しぶりにパンを買ってそれから果物屋でマンゴーを買って宿に戻った。

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2016年5月13日 (金)

天水麦積山

朝起きて渭河のほとりを散歩した。歩行者専用の橋があったのでそこを渡ろうとしたが、天気が悪く風が冷たいので半分くらいまで渡って引き返すことになった。それから牛肉麺を食べて宿に戻った。
今日はちょっと天候がよくないが麦積山に行くことにした。駅前から路線バスに乗り45分ほどで到着した。こちらは少し雨が降っている。門票90元と電動車15元を買って山を登って行った。断崖絶壁に張り出して作った通路と階段を上る。石窟にはすべて金網のついた扉が閉まっており中が良く見えない。非常に残念である。いくら保護のためとはいえもう少し工夫してもらえないのだろうか?天気がよくないので石窟の中が暗いとほとんど見えない。順路とかもないので適当に階段を上っていると最上階についた。半分も見ていないと思うが地図をみるとここから反対側に行ってもまた中ほどの階段から通路があって戻れるようになっていたので反対側に行ってみると通路は立ち入り禁止になっていて戻れなかった。ここからまた階段を上って反対側まで戻って行くのも嫌になって帰ることにした。ここはきちんと自分の見た石窟番号を地図に書いていかないとすべてを効率よく見て回れない。チケットの裏側に石窟の地図でもあればいいのだが、それもないので紙に自分で書いていくしかない。まあ今回は失敗だった。
宿に戻りチェックアウトして路線バスに乗って麦積区から秦州区に向かう。ちょうど学校が終わった時間なのかバスに乗る学生が多かった。秦州区に到着し繁華街の少し手前の建設路でバスを降りた。ここから宿を探し始めるもなかなか見つからなかった。この宿はいいかなと思ったところは中国の身分証が必要で3軒ほど断られた。1時間ほど探してやっと見つけた。民主東路から少し入ったところで158元と少し高かったが疲れたのでここに泊まることにした。
まだ14時くらいなので近くの胡氏民居南宅子に行った。広い邸宅で中に演劇をみる場所や地下の金庫室などもあった。30分ほど見学して外に出た。次に李広墓に行こうと思い路線バスを探したがなかなか見つからなかった。路線バスを探しながら歩いているうちにだんだんと李広墓に近づいてきて、もうバスに乗る必要はなくなった。しかし近くまで来ているはずだが案内の看板もなくガイド本の地図を見ながら歩いていたがまったくわからなくなってしまった。しかたないので歩いている人をつかまえて「李広墓はどこなのか?」と訊ねてみた。「あっちのほう」というあいまいな回答をもらいその方向に進んでいくとやっと見つけた。住宅地の中にひっそりとあるという感じだった。当然のことながら中に観光客がいるはずもなく貸し切り状態でゆっくりと見ることはできた。しかしゆっくり見るにしても墓だけしかないので5分もあれば十分である。まあ普通の人より立派な墓があるとは言え、やはり敗軍の将に対しては皆冷たいのだろうか?
李広墓を後にして南郭寺に向かった。路線バスに乗ったが1駅早く降りてしまい、そこから歩いた。南郭寺の入口から20分ほど山を登りお寺に到着した。あいにく天気が悪いため見晴らしが良くない。残念である。天気が良ければまた違った風景が見れたと思うのだが。山を下りて路線バスに乗って宿にもどろうとした。途中から宿とは反対方向にバスが走り出した。まあいいかと思っていると終点になり乗客が全員バスから降りた。私も降りて散歩しながら歩いて宿まで戻った。

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2016年5月12日 (木)

天水へ移動

朝起きて朝食、朝食付きの宿に泊まるのは久しぶりだ。何年ぶりなんだろう?朝食券を持って食堂に行くと従業員が1人いるだけだった。ちょっとしたバイキングになっていたので皿を持って自分の好きな料理を少しづつ取っていった。広い場所に1人だけの少し落ち着かないような朝食が終わり部屋に戻った。そして今日も甘粛省博物館に行こうと思う。昨日すべて見れなかったので再度行ってみようと思う。列車の時間があるので14時までには戻ってこなければならない。宿はチェックアウトして荷物を預かってもらうことにした。
朝のラッシュの中でバスはなかなか進んでいかない。それでも1時間ほどで到着した。昨日と同じようにパスポートを提示して無料のチケットをもらった。まずは昨日見れなかった「仏教」のところへ行き、それから「古代陶器」を見て、再度「恐竜」を見た。それから2階へ行き「紅軍」を見た。まだ時間があったので「絹の道シルクロード文明展」を再度見た。すべてを見て満足して博物館を後にした。
13時半頃まだ少し早いが宿で預けていた荷物を受取り駅に向かった。久しぶりに座席の車両に乗った。近距離はバスでの移動のほうが便利なので列車を使うことはほとんどない。私の席は3人掛けの真ん中で私一人だけだった。全部の座席を使わせてもらって横になった。外の風景はだんだんと緑が多くなってきたように感じる。4時間ほどで天水の駅に到着した。駅の近くで30分ほど宿を探しやっと決まった。
ここ甘粛省は回族清真教の人が多い。男性は頭につばのない小さな帽子をかぶっている。この帽子は色々な名前があるようだ。ほとんどは白色だが違う色の帽子もある。女性はスカーフを頭に巻いていることが多い。スカーフは黒やカラフルな色柄などもある。ラーメン店はこの回族清真教の人たちが経営している店が多い。そのためアルコールは禁止、他店の食べ物の持ち込みも禁止が多い。日本では当たり前のような感覚だが中国では食料品の持ち込みはそんなに厳格ではない。私も水やジュースはよく持って入っている。さすがに食べ物まで持っては入らないが、食後の果物くらいだとありだと思う。他店の食べ物の持ち込み禁止の理由については、自分の店の利益にならないというよりも純粋に豚肉料理がダメだという理由だと私は思う。私の印象では真面目な人が多いように思われる。

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2016年5月11日 (水)

蘭州へ移動

予定より少し早いペースで進んでいる。これだとこの旅行で予定してる観光地へはすべて行けるだろう。列車の時間にはまだ少し早いが、荷物をまとめて出発の準備をした。宿の受付で張掖西駅までの行き方を確認して6路バスに乗った。バスは張掖西駅に到着したが駅で誰も降りる乗客がいなかったため停車せずにそのまま通り過ぎてしまった。あわてて下車と大声で言ってバスを停めてもらって降りた。張掖西駅は新しくてとてもきれいだった。待合室の椅子に座って次の目的地の蘭州の地図をながめた。蘭州は甘粛省の省会で大きな街なのであまり長居はしたくないと思っている。
やがて改札が始まり列車がホームに到着した。私は1枚だけ写真を撮ってから列車に乗った。カメラの液晶画面が壊れていて真っ白なままなので撮れているかどうかも確認のしようがない。列車が張掖の街を出るとすぐに南側に祁󠄀連山脈が見えてきた。平原の向こうに頂上が白くなった山がずっと先まで続いている。昔の人もこの綺麗な景色を見ながら歩いていたのだろうか?2000年もの昔、霍去病も兵を率いてこの道を通ったのだろうか?ふとそういう思いになった。列車の中では3歳の女の子と友達になった。お父さんとお母さんと3人で乗っているようだ。私の中国語のレベルと3歳の女の子の中国語のレベルが同じくらいなのだろう。なぜか会話が合う。
4時間ほどで列車は蘭州に到着した。駅のすぐ近くの敦煌之星酒店という宿にした。188元とだいぶ高かったが、今回は時間のほうを優先した。宿に荷物を置き駅まで戻り明日の列車の切符を買った。蘭州14:40発で天水まで50元ほどだった。ここ蘭州に寄ったのは甘粛省博物館に行きたかったからだ。今朝張掖の駅の待合室で蘭州の地図をながめているときに失敗したと思った。それは甘粛省博物館が蘭州西駅のすぐ近くにあったからだ。蘭州駅からはだいぶ離れている。張掖で列車の切符を買う前にこの地図を確認していれば張掖西駅から蘭州西駅の切符を買えてたはずだ。いまさらこんなことを言っても始まらないのだが。宿に戻って受付で甘粛省博物館への行き方を教えてもらった。路線バスで近くまで行けるそうだ。駅前のバス乗り場から路線バスに乗り1時間ほどで到着した。ここ蘭州も地下鉄の工事をしているらしくメインの道路が狭くなったりしていて渋滞が激しい。思ったよりも移動に時間がかかる。
甘粛省博物館は身分証を見せると無料でチケットをくれた。先に甘粛省博物館を簡単に説明すると2階と3階にそれぞれ3つの展示室があり、2階は「絹の道シルクロード文明展」「古生物の化石」「紅軍1927-1937」3階は「仏教」「恐竜」「古代陶器」である。まずは2階の「絹の道シルクロード文明展」を見て、ここでちょっと時間を使いすぎた。「古生物の化石」と「恐竜」を少し見て「仏教」を見ようとしたところで閉館時間になってしまった。残念だがしかたない。
博物館を出て外はまだまだ明るいので白塔山に行くことにした。帰りのバスで途中の中山橋で降り、黄河にかかる歩行者専用の橋を渡り白塔山を登った。20分ほどで登り蘭州の街をながめた。白塔山は見晴らしが良い。ここ蘭州は東西に黄河が流れていてその黄河に沿って街がある。山が多いため平地部分は黄河に沿ったわずかな部分しかない。そのため街も黄河に沿って細長く東西に伸びている。帰りは途中の繁華街でバスを降り散歩しながら宿まで戻った。

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2016年5月10日 (火)

張掖馬蹄寺

今日も臊子麺を食べて宿の延泊手続きをした。それから路線バスで張掖南バスターミナルまで行き馬蹄寺行きの切符を買った。11元だった。バスターミナルには馬蹄寺と書いたバスはなく、職員に訊くと南古行きのバスに乗れと言うことだった。南古の街と馬蹄寺は近くにあるようだ。南古に到着し私が馬蹄寺か?と訊くと、バスを降りようとしていた女性がこのままバスに乗っていれば運転手が連れて行ってくれるわと教えてくれた。それから運転手が1人30元で馬蹄寺まで行くと言っている。最初はなんか高いような気がするなと思った。馬蹄寺に行く人は私を含め全部で7人だった。みんな運転手に払っているので私も30元払うことにした。ここでバスを降りても結局はその後苦労するのは目に見えている。バスは10分ほどで馬蹄寺に到着した。運転手がなにやら言って他の乗客がバスから降りだした。どうやら入場券を買うらしいので私も降りて入場券を買った。71元だった。入場券を買ったらみんながまたバスに戻り始めた。全員がバスに乗るとバスは発車して奥へと進みだした。断崖絶壁の崖をくり抜いて寺院を建てているところでバスが停車しみんなが降り始めた。私もバスを降りて崖を少し登って寺院の中を見学した。崖の上から後ろを振り返って見るとすぐ近くに白い祁󠄀連山脈が見えた。ここで15分ほど観光して、またみんながバスに乗って移動した。次に停車した所は駐車場で、どうやらここから坂道を歩いて登って行くらしい。坂道を登って行くと写真に載っている三十三天洞が見えてきた。カラフルな小さな旗をたくさんつけていてチベット寺院のようだ。ここも崖をくり抜いて寺院を建てているので、そのくり抜いた通路を登って行く。すごく狭い階段もあり人1人がやっと通れるくらいだ。太っている人にはちょっときつい。20分ほどかけてなんとか一番上まで登った。丘の向こうに祁󠄀連山脈の頂上が少しだけ見える。駐車場まで戻り最後に格薩王殿に行った。ここは別料金で3元必要だった。全部で2時間ほどの観光だった。帰りの張掖までのバス代も含め30元だと全然安いと思う。運転手を悪い奴だと思っていた自分のほうが悪い奴だって思えてくる。
13時半頃に張掖に戻ってきた。街を少し散歩してガイド本に載っている孫記炒炮という店に行った。この店も宿のすぐ近くにある。お勧めの孫記炒炮を食べてみた。13元で安いにもかかわらず豚肉がたくさん入っていて美味しい。ただ私は麺は細くて長いほうが好きだ。このように太くて短く切れているのはちょっと好みではない。なんと言っても食べにくい。

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2016年5月 9日 (月)

張掖丹霞

朝食は昨日と同じ菜根香の臊子麺。今まで牛肉麺ばかり食べていたこともあり、今はこのとろみがあって胡椒がきいてて麺が少し太いのが良い。宿の延泊手続きをして受付で鉄道の切符売場が欧式街にあるか確認してみた。受付の女性は確かに切符売場はあると言う。私が見つけられなかっただけなのか?と思い再度行ってみることにした。そうすると以外にも簡単にみつかった。前回見つけられなかった原因は2つあって1つは地図で見ると交差点の角地付近にあると思いこんでいた切符売場が交差点よりもずいぶん入ったところにあったためだ。もう1つはここ欧式街は現在道路工事をしていて防壁で覆われているめ切符売場が通りの反対側の歩道から見えにくくなっていたためだ。とにかく明後日の蘭州までの切符が買えてよかった。張掖西駅発で蘭州駅着。張掖には2つ駅があって張掖駅と張掖西駅。張掖駅は武威を経由する北側ルートで従来の鉄道。張掖西駅は西寧を経由する南側ルートでCRHなどの高速鉄道が走る新しくできた鉄道。南側ルートは祁󠄀連山脈を突き抜ける形になっていてトンネルが多いことが予想される。鉄道の切符を買ってそのままバスターミナルに向かった。
8:40発の丹霞地質公園行きのバスに乗り1時間ほどで到着。入場券(バス利用料込60元)を買って中に入る。公園の中には専用のバスが走っておりそれに乗って景観地を移動する仕組みになっている。景観地は決められていて歩道が整備されていて歩道以外を歩くのは禁止になっている。歩道に沿って山を少し登ると見晴らしが良くなってきた。今日は天気も良いし青空の下で素晴らしい景色が見れて幸せだ。だがパンフレットの写真のように色鮮やかな七彩というわけにはいかなかった。七彩はいつでも見られるというわけではないようだ。色々な条件が重なって始めて七彩に見えるのだろう。赤色、白色、黄色などははっきりと見えるが緑色や青色といった色は見えない。それでも素晴らしい景色には違いない。2時間ほど見学して外に出た。バス停に戻ってみると帰りのバスはいなかった。しかたないので店屋に寄ってヨーグルトを飲んで帰りのバスの時間を訊くとまだ1時間もあるそうだ。さっき出たばかりなんだろう。暇そうにしている店の兄ちゃんと話をしていると水溝丹霞まで車で乗せて行ってくれるそうだ。往復で100元と少し高いが、時間もあるしぜひ行ってみたい。話が決まればすぐの出発となった。水溝丹霞に到着し入場券を買った。こちらも同じくカート費用込みで60元。丹霞地質公園からくらべるとずいぶんと観光客は少ない。カートに乗って山を少し登ってから歩道を歩くようになっていた。ここ水溝丹霞は色鮮やかなわけではないが切り立った岩山が奇妙な形をしている。風に削られていったのだろうか?ほぼ垂直にそびえ立っている。鉛筆のように細長く伸びているものもあればホテルのロビーや美術館にでもありそうなずっしりと大きな屏風のような岩もある。山の上から後ろを振り返って見てみると遠くには白い祁󠄀連山脈が見える。やはり来てよかったと思う。1時間半ほど見学して駐車場に戻った。兄ちゃんが車の中で待っていてくれていた。
宿に戻り今日もスーパーでマンゴーを買った。ヨーグルトも買った。日本にいるよりずっと健康的な暮らしをしていると思う。それから按摩に行ったが今日の人は全然ダメだった。風邪はだいぶ良くなって80%回復といったところだろうか。鼻水が出てまだ少し喉に違和感がある。

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2016年5月 8日 (日)

張掖休養日

ガイド本に載っている菜根香という店が宿のすぐ近くにあるので行ってみた。臊子麺が有名な店だそうだ。さっそく臊子麺を食べようと入口のおっちゃんに臊子麺と小龍包と言って食券を2枚もらって奥の厨房に行った。そうすると小龍包が2つ出てきた。2つと言っても6個入りの籠が2つである。言葉も通じないしいまさら文句を言ってしょうがないので6元捨てたと思ってもう一度臊子麺の食券を買い直した。臊子麺は奥の厨房ではなく入口のすぐ横で出していた。臊子麺はとろみがあって胡椒がよくきいている。私は牛肉麺より臊子麺のほうが日本人の口に合うと思う。小龍包は1籠だけ食べてみたがたいしたことはない。
宿に戻って少し横になってから、昨日行った按摩店に今日も行った。昨日とは違う人に按摩してもらったのだが昨日の人のほうが全然良かった。その後市街地を少し散歩して宿に戻った。今日は体調が思わしくなく疲れもたまっているので休養日にしようと思う。
夕方になり近所のスーパーに行った。ヨーグルトとマンゴーとジュースを買って帰った。日本にいるとほとんど飲まないが中国ではよくファンタとかミリンダの炭酸飲料を飲んでいる。マンゴーは安くて美味しい。小さいのは1個100円から200円くらい。マンゴーの皮を剝くのにナイフを買おうかとも思ったが鉄道やバスでの移動のたびに荷物検査があるのでナイフは買わずに手で皮を剝いている。初めはうまくできなかったがだんだんうまくなってきた。香港のサトくんのところで食べてからすっかりマンゴーにはまっている。

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2016年5月 7日 (土)

張掖大仏寺

列車は定刻の6:22に張掖駅に到着した。駅前にはタクシーが並んで呼び込みをしている。路線バスは夏期6:30始発、冬期7:00始発とある。どちらなんだろう?とりあえずバス停で待ってみることにした。バスが来ないので7:00始発なんだろう。急いで市街地に行く必要もないので、ここで30分待つことにした。駅から1路バスに乗って市街地までくるとガイド本に載っている張掖飯店のすぐ近くでバスが停まったので、ここで降りて受付に行ってみた。1泊118元で部屋を見せてもらうとまあまあ良かったのでここに泊まることにした。今回の旅では自分で宿を探さないでガイド本に頼ることが多い。一番のメリットは外国人お断りではないから門前払いということがないことだ。例えばやっと探し当てた良い宿が外国人お断りだとショックもでかいのだ。ただガイド本に頼りすぎると旅の面白さに欠けるのも事実である。重いリュックを背負って宿を探すのも旅の一部である。シャワーをして少し休んでから朝食を食べに行った。
ここ甘粛省は蘭州ラーメンの本場なのでラーメン店が多くそして美味しい。ほとんどの店は入口で食券を買って奥の料理しているところに持って行く、食券を出すと麺の太さを訊かれるので自分の好みの太さにしてもらう。そして次に辛さを訊かれるので自分の好みの辛さにしてもらう。職人が麺を打ってくれて、湯がいてラーメンが出てくる。出てくるまで3分ほどなので待ちくたびれることはない。私はいつも麺は細(シー)で辛さは少(シャオ)と言っていた。牛肉麺が基本で牛肉麺を注文すると肉を多くするか?と訊かれる。私は一度も多くしたことはない。不要(ブーヤオ)と言って断っている。でも肉を多くしていない牛肉麺には肉はほとんど入っていない。私の感覚ではどの店も麺にはこだわっているがスープにはあまりこだわっていないような気がする。これでスープが美味しければ最高なのに。牛肉麺以外はそんなにラーメンの種類は多くない。
またやってしまった。敦煌の宿のカギを返さずにここまで持ってきてしまった。5年前の麗江以来2回目だ。持ってきてしまったものはしかたないので、郵便局に行ってカギを送ることにした。幸い宿の名刺は持っているので電話番号と住所はわかる。郵便局に行ってカギを厚紙の封筒に入れてもらって送った。送料は15元だった。夜に敦煌の宿に電話してカギを持ってきてしまったことと、送ったことを伝えた。
そして郵便局から鎮遠楼に行って、大街門街で按摩店を見つけたので全身按摩を1時間してもらった。風邪薬を毎日飲んで風邪はだいぶ良くなってきたが、それでもまだ完治したわけではない。按摩をしてもらうとずいぶん身体が楽になる。それから甘泉公園に行った。甘泉公園に行ったことは覚えているがカメラの調子がよくないので写真も撮っていないのでどんな公園だったのかほとんど記憶にない。それから欧式街鉄道切符売場に行ったが見つからなかった。宿に戻って2時間ほど寝た。
15時頃に起きて大仏寺に行った。ここには大きな涅槃仏があった。目はうっすらと開いており何かを見つめているような気がする。とてもいい目をしている。顔の表情もいい。あと経籍庁には漢字以外にも他の言語で書かれた書物も多く、昔からこの辺りがインドやアラブとの交流が多かったことを示していると思う。そして建物はすべて古く味わいがある。ここは来てよかったと思う。

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2016年5月 6日 (金)

敦煌最終日

昨日よりだいぶ風邪が良くなったと思うが、それでもまだ治ったわけではない。メールを確認して9時頃に遅い朝食をして、それから10時過ぎに鳴沙山・月牙泉に向かった。カメラの液晶がだんだん映らなくなってきた。真っ白い画面のままの時間が長くなってきている。あと何枚撮れるのかの枚数表示も見えなくなってきた。
3路の路線バスに乗り終点で降りると鳴沙山・月牙泉の入口になっている。宿のおばちゃんが言うには入場券を買うときに事前に申請しておけば2日間有効になると言っていた。本当かどうかはやっていないのでわからないが。普通に入場券を買って中に入る。ここは多分多くの日本人が思い描く砂漠のイメージにあったところだと思う。まずは歩いて月牙泉に行った。ここは砂漠の中に三日月型の泉があり、そのほとりに楼閣が建っている。泉のまわりを一周して楼閣に登る。30分ほどで見て終わり帰る途中でラクダに乗ってみた。なんかやる気なさそうな兄ちゃんがラクダを引っ張りラクダ小屋までラクダに乗って連れて行ってもらった。これで50元はちょっと高い気もするが初めてのラクダだし、いつでも乗れるというわけではないので、まあ乗って良かったと思う。それから鳴沙山に登った。体調不十分なのでどうしようか迷ったが行けるところまで行ってみようと思い登り始めた。砂の丘をどんどん登っていくとやがてさっきの月牙泉が見えてきた。上から見る月牙泉は格別だ。土産物屋に置いてあるような風景そのままを見ている。しかも天気が良いので最高である。トカゲみたいなのがすばやい動きで私の前を横切っていった。頂上まで行きなおも尾根づたいに月牙泉のほうに行き、滑る器具を置いてあるところに梯子がありそこから下に降りた。天気も良く景色もよく充実したひとときだった。
宿に戻り昼食にしてヨーグルトを買って帰った。それからシャワーをして昼寝することにした。夕方に起きて歩行街へ散歩しに行った。喜羊羊のDVDがあったので2枚買って、それから女の子の土産物屋に寄って少しお土産を買って帰った。ほとんど毎日来ていたこのお土産屋ともお別れだ。宿に戻り宿のママとなんでもない話を2時間くらいしていた。タクシーを呼んでもらって駅に向かった。この宿のママにはずいぶんとお世話になった。
駅に着き待合室で待っているとすぐに改札になった。いつもよりずいぶん早い改札だ。まあそれもそのはずだ。敦煌駅は線路の終点なので始発しかない。列車もすでにいて1日の発着本数も少ないので早く改札しても問題ないわけだ。列車を見てみるとずいぶん豪華な列車だ。中国で乗った列車の中で一番いいのではないだろうか?寝台車両しかなく軟臥寝台が4両くらいついている。それに食堂車やラウンジ車もついてるのかな?これだと思い切って軟臥寝台にしたほうが良かったのかなとも思う。このY677列車はおすすめだ。列車が敦煌駅を発車してそしてベッドに横になった。

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2016年5月 5日 (木)

敦煌風邪でダウン

朝起きると絶不調。風邪が本格的になりそうだ。宿のママに言って按摩店の場所を教えてもらって1人で探しに行ったが見つからない。なんか子供みたいだが見つからないので宿に戻りママに一緒に行ってもらうことにした。2人で探したがやっぱり見つからない。ママが確かにこの辺だったというところで人に尋ねると按摩店は引っ越ししてなくなっていた。薬局で風邪薬を買ってすぐに飲んで、今度はママに病院の中にある按摩に連れていってもらった。料金は中国人だと50元で外国人だと100元だった。ちょっと高いがそんなことは言ってられない。すぐに按摩をしてもらうことにした。1時間按摩をしてもらってずいぶん身体が楽になった。按摩をしてもらっているときは鼻水が出っぱなしだった。さすがに病院の中にある按摩だけあって上手だった。11時頃に宿に戻りベッドで横になった。
夕方5時にK野さんの宿泊しているところに行ったが会えなかった。莫高窟に行くと言っていたのでそこで知り合った人たちと鳴沙山・月牙泉に行ったのかもしれない。私は体調がすぐれないので断ろうと思っていたのでこれで良かったのかもしれない。
夜になり少し元気が出てきて敦煌盛典という演劇を見に行くことにした。先日に見た演劇よりもこちらの方が良いと言うので行ってみたが、私は先日行った敦煌雑技芸術歌舞劇院の方が良かった。観客席の移動やライトアップなど演出はいいのだが、肝心の演技のほうがいまひとつのように思える。それに漢字や英語での字幕もないため中国語のヒアリングができないと何をやっているのかわかりにくい。それにストーリーが一貫しているのではなく、なんの関連もないようなショートストーリーを10分程度ずついくつもやるので、なにか中途半端でものたりないような気がする。来るときは宿のママに車に乗せてきてもらったのだが、帰りは1人で路線バスで帰った。帰りに夜市のお土産屋のかわいい女の子のところに寄った。何も買わないが5分くらいおしゃべりをして帰る。

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2016年5月 4日 (水)

敦煌1日ツアー

朝起きて少し風邪気味かなと思う。しかし今日はハードなツアーだ。9時半出発で戻ってくるのが23時の予定だ。8時頃に自助餐で肉まん3個とお粥を食べる。9時過ぎにツアーの迎えがやってきた。バスに乗って少しすると日本人の男性が1人入ってきた。K野さんだ。GWなので1人で旅行をしているらしい。バスは市内を回ってツアー客を集め10時過ぎに出発した。ツアー客は全部で30人くらい。バスはほぼ満席になった。最初に行ったのが敦煌古城、昔の街を再現したところで、ひととおり街の中を見学しそこそこ楽しめた。その次が西千仏洞ここではガイドの案内で5つくらいの窟を見学した。なんかほとんど印象に残っていない。そして農家の食堂で昼食になった。1人40元でちょっと高いが、料理もたくさん出てきて満足できる内容だった。食堂の前で干しブドウを売ってるおばちゃんがいたので見せてもらった。少し小さいのが5元で大きいのが8元。ポケットに12元あったので「2つで12元にして」と言うと「ダメ13元」と言う。もう1回「2つで12元にして」と言ったが、やはり「ダメ13元」と言う。バスの運転手が発車するよと言うのでバスに乗った。なかなか頑固なおばちゃんだった。次に陽関に行った。ここは砂漠の中に烽火台の一部が少し残っているだけで、陽関の跡地でなければほとんど見る物もない。今日6つの観光地へ行く中で半分の3つが終わってもうすでに16時だ。それも近場の半分なのでこれからはもっと遠くに行かなければならない。風邪がだんだん悪化しているように感じる。バスの隣に座っているおっちゃんといろいろ話をしていた。鄭州から奥さんと2人で旅行に来ているそうだ。何歳だって私に訊いてくるので答えるとどうもおっちゃんと同い年のようだ。身分証を見せてもらうと私とわずか9日違いの誕生日だった。私が9日だけ誕生日が早かった。なので「私が兄貴でお前が弟だ」って言うとなんとも悔しそうな顔をしていた。こんなに誕生日の近い人に偶然会うのは久しぶりだ。次に玉門関に行った。ここはバスの運転手がお金を集め全員の入場券をまとめて買いに行った。観光場所から離れたところに入口があり、ひとりひとりがバスから降りて入場券を買ってまたバスに戻っていると時間がかかるからだろう。玉門関は陽関よりもまだそれらしいものが残っている。はっきりと城壁とわかるものが残っている。その次に漢長城、ここは玉門関と同じような場所にあるのですぐ近くだ。万里の長城といえばいえなくもないような壁が続いている。実際は今の状態では防壁の役割は果たせないだろう。そして最後にヤルダン地質公園、もう20時前だ。しかし空はまだ明るい。ここは砂漠の中にある岩が長年の風によって浸食されたのだろう。常に一定方向からの風が吹くため、すべての岩が同じ方向にそろって浸食されている。まあ簡単に言えば船のような形になっている。中国お約束のこの岩はなんとかに似ているとかいう看板があり、そして日没に合わせて艦隊出海というところを見て終わりになった。もう21時半だ。帰りはバスの中でほとんど寝ていたが、敦煌に戻ってきたのはもう日付の変わる頃だった。
K野さんと夜食を食べに行こうということになって夜市に行った。しかしこれは失敗だった。驢肉黄麺という看板がここ敦煌にはたくさんあり、私はなにを間違っていたのか勝手にラクダの肉の料理だと思っていた。それでちょっと食べてみようと思い注文したところ、ラクダの肉ではなくロバの肉だった。しかも麺と肉は冷めててまったく美味しくなかった。そして敦煌の夜市は非常に高い値段だった。通常15元くらいのものが3倍の45元だった。大盤鶏を注文すると120元くらいだった。ちょっと高すぎる。K野さんと2人で夜市じゃなくもっと安い店に行けばよかったねと後悔した。K野さんとは明日時間が合えば一緒に鳴沙山・月牙泉に行こうと軽い約束をして別れた。
それから宿に戻った。ちょっと遅いので宿のおばちゃんが心配して待ってくれていた。しかし今日は疲れた。狭いバスの椅子に座っている時間が長かったのでとても疲れた。明日の体調が心配だ。

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2016年5月 3日 (火)

敦煌莫高窟

朝6時半に起きる。7時に自助餐で食事をする。中国によくある自助餐とは朝食のバイキングに近いものだ。出来上がっている料理の好きなものを自分で選び会計して食べる。8時少し前に宿を出て敦煌駅行きのバスに乗り途中の莫高窟数字展示中心で降りる。そこで映画を2本見てからバスで莫高窟に移動する。莫高窟には見学時間よりもだいぶ早く着いたため日本語ガイドもまだ来てないらしい。今日予定している日本人が全員そろってから日本語ガイドの案内で莫高窟を見学するらしい。時間があるので予習のつもりで地球の歩き方に載っている莫高窟の鑑賞ガイドを見ていた。主だった窟を40ほど抜き出し窟ごとに説明を書いてくれている。窟の作られた時代や修復の有無、仏像の特徴や壁画の内容といったところだ。あと言葉の説明も少し書いてくれている。経変という言葉が経典の内容を絵画化したものだということを初めて知った。あとになってわかるのだが日本語ガイドはこの莫高窟用語で説明してくるのでこの用語を知っておかないとガイドの説明が理解しにくくなっている。日本人の日本語ガイドではなく中国人の日本語ガイドなので、窟の説明を日本語に訳しそれを覚えていてその通り説明をしているだけなのでこまかな用語の説明などはしてもらえない。というかガイドも日本語が上手なわけではないのでうまく答えられないときが多い。
30分ほどして全員集まり莫高窟の見学になった。全部で10人ほどだった。最初に行ったのが94窟でここは唐時代に作られたそうだ。次に行ったのが96窟ここも唐時代に作られたそうで敦煌莫高窟で一番高い仏像だそうだ。確かに大きい。次が103~105窟ここも初唐に制作されたもので経変図が壁画に描かれており状態が良いそうだ。維摩詰と弥勒菩薩と言っていた。次が148窟ここは涅槃仏だそうだ。涅槃仏とは釈迦の入滅する様子で、涅槃とは永遠の眠りにつくことだそうだ。そしてここの窟は穴の形が棺桶型をしているそうだ。涅槃仏は女性のような姿をしており手が長くなっている。次が172窟ここも唐時代に作られていて壁画が素晴らしいそうだ。建築物は遠近法を用いて描かれており日本の平等院にも似ているそうだ。音楽隊や演舞の様子も描かれており楊貴妃はこの舞をとても上手に踊っていたという説明だった。次に204窟ここは隋時代だそうだ。次に257窟ここは北魏時代で説話図が描かれているそうだ。さっき見ていた莫高窟の鑑賞ガイドに載っていた鹿王の物語をガイドが始めた。しかしガイドの日本語の説明が良くないためにみんなが納得できないような顔をしている。私はさっき読んだのでストーリーが頭の中に残っている。なのでガイドに代わって内容をみんなに説明した。ここで話の内容を少し書くと、ある日川で溺れていた人が鹿に助けられた。鹿はこの男の人と鹿の居場所を誰にも口外してはならないと約束します。しかし後になってこの男の人は賞金欲しさに約束をやぶって国王に鹿の居場所を告げてしまいます。国王は鹿を狩るために大勢の人を集め鹿のところにやってきました。鹿は国王に人を助けたことを説明しました。国王はたいへん感動してこれからは鹿を狩らないようにすると言って帰りました。この男の人は鹿との約束をやぶったために重い病気になってしまいました。因果応報です。と言う話だ。ガイドの女性が「なんで知っているんですか?」って、「いやさっきたまたまそこで本を読んだので」って言うと、私はいま日本語の勉強中なのでさっきの話を紙に書いて下さい。って言うので後で紙に書いて渡してあげました。次に行ったのが16窟と17窟ここは16窟の中に17窟があって、そして17窟は敦煌蔵経洞として有名だそうです。作られたのは唐の時代。その後西夏時代に何らかの理由により封印されたそうです。それを清の時代におうけんろくという道士が掃除中にたまたま17窟を発見しそこから5万点の古文書を発見したそうです。その後古文書は外国人に持ち出され今では8千点ほどしか残っていないそうです。仏像の目は瑠璃(ガラス)で出来ており、天井の模様は蓮の花で西夏時代に描かれたもの、壁には千仏が描かれている。以上1時間半ほどで終わりでした。私は1人だけ特別窟を見たいとガイドに伝え残ることにしました。ガイドと一緒に特別窟の入場許可をもらいに行き、どこの窟を見学したいのか希望を訊かれ、昨日の莫高窟入場券予約販売センターで教えてもらった45窟を見学することにしました。特別窟の見学料は200元でした。ガイドと歩きながら莫高窟全体の入口からの外観を説明してもらいました。全体の丘の上は天に向かって供養するための塔の跡が残っており、右側の崖には空いた穴があり、そこは昔の居住区の跡だそうです。そして45窟ここはガイドでもカギを開けることはできず、警備する人がついてきてガキを開けるようになっています。唐時代に制作された窟で床は時代によってどんどん積み上げられているそうです。中心の釈迦像は木の原型に泥を塗って作られておりシルクの衣服のかんじがとてもよく表現されているそうです。向って左隣に弟子の阿難この人は若くて勉強もでき優秀な人物で少し女性らしい表現になっているそうです。そして右隣が弟子の迦葉(かしょう)この人は年をとっていて痩せていてとてもきびしい修行をしてきた僧らしいです。そしてその外側に菩薩。菩薩も女性らしい表現で作られておりとても美しい。そしてその外側に天王。天王は甲冑を着て邪鬼を踏んづけて怒った表情をしている。次に壁画、壁画に描かれている人物の眉毛がブルーグリーンなのが唐時代の特徴。観音菩薩は豪華な天蓋をさしている。そして子供がたくさんできるようにとか、商人が海の事故や盗賊から身を守れるようにとかの願いなどが描かれている。そして楽器を演奏している。顔がふっくらして目が細いのが唐時代の特徴。極楽浄土の世界が描かれており、観音菩薩は右手には蓮の花左手には水差しを持っている。そしてジャーリンピンジャーは歌が上手。以上30分ほど見学しながらガイドさんに説明してもらいました。ありがとうございました。その後莫高窟を自由に見学してもかまわないとのことでしたが、ガイドさんがいないとカギもしまっているのでたいした見学もできないし、もう13時過ぎになっているので、博物館に行ってそこで1時間ほど見学し宿に戻ることにしました。博物館は3窟:元時代の千手観音、217窟:盛唐時代、276窟:隋時代(西夏修復)、419隋時代、285:西魏時代が展示されていました。
敦煌発の列車の切符を確保しておいたほうがいいので、歩いて切符を買いに行くことにしました。歩行街の露店のお土産屋にかわいい女の子が2人いたのでちょっと寄ってみました。客もいないのでなにやら暇そうにしてます。商品をながめていると何か買ってくれと言ってます。私が「听不懂(ティンブドン)」って言うと、「どこから来たの?」「日本だよ」「何か買っていってよ」しばらくなんでもない話をしながら商品を見て「これから列車の切符を買いに行くんだ」って言うと、「すぐそこにも切符売場があるよ」って教えてくれたので、そこの切符売場に行って3日後の5月6日の夜10時半の切符を買いました。
それからバスに乗って鳴沙山・月牙泉まで行った。しかし暑いのとマスクを忘れて来てしまったので引き返すことにした。宿まで戻ると日本語のできる宿の娘さんが「お母さんが演劇の招待券を半額でもらってきたよ」って言ってくれた。昨日の夜に演劇を見に行きたいと話をしていたが入場料が高いよねって言ってたからだ。敦煌雑技芸術歌舞劇院で今日1日だけ有効の券で半額の110元で見れるそうだ。娘さんも行くそうで2人で敦煌雑技芸術歌舞劇院に行った。鹿の女神と阿牛の物語で概要は、鹿の女神が隣人の阿牛と恋をして子供が生まれる。そして幸せな生活を送っていたが、やがて火炎悪魔が村人を苦しめ始めた。女神は村人を救うためにアラブに行き国王から神水をもらいそして火炎悪魔を神水で退治する。と言う話だ。中国語と英語の字幕が出てくる。演技は雑技芸術歌舞劇だけあってサーカスみたく派手な動きが多い。そして話の内容もわかりやすく見ていて楽しかった。宿の娘さんは日本の大学に6年間留学していたそうだ。そして今年の春に卒業して敦煌に戻って来たそうだ。なので結構上手な日本語がしゃべれる。6年間も日本の大学に留学させるには、お母さんも苦労したと思う。

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2016年5月 2日 (月)

敦煌へ行く

今日も寒いが雪は降っていない。敦煌に向かうことにした。宿を出て路線バスでバスターミナルへ行く。8時前に到着したが出発は9時である。バスターミナルで1時間待って出発した。バスに乗り市街地を出ると、すぐに南側に祁󠄀連山脈が見えてきた。頂上部分が雪で白くなっていてとても美しい。どこまでも続いているかのようにずっと先まで山が連なっている。建造物はほとんどなく草原の先が山脈になっている。その山脈に平行して高速道路と鉄道がずっと伸びている。青空が出てきて気温が低いので空気が透き通って景色がとても素晴らしい。菅野よう子や中島みゆきの音楽を聴きながら美しい風景を見て最高の旅である。それも1時間ほどすると祁󠄀連山脈もだんだんと低くなり雪がなくなってきた。1時間40分ほどで玉門鎮に到着しバスターミナルで少し休憩になった。玉門鎮を出ると緑もどんどん少なくなっていき荒野から沙漠の入口へという感じになってきた。予定通り5時間ほどで敦煌に到着した。
まずは宿探しである。敦煌には4、5日は滞在したいと思っているのでなるべく安い宿にしたい。地球の歩き方には速8酒店と敦煌国際青年旅舎がドミトリーありになっているので、まずはそこに行ってみようと思う。速8酒店の少し手前でおっちゃんが宿に泊まらないかと声をかけてきた。部屋を見せてもらうが1泊100元と高いので断った。とりあえず速8酒店に行こうと思い歩き出すと今度はおばちゃんが大声で追いかけて来ている。部屋を見て行ってくれと言っている。そして娘が日本語が話せるからちょっと寄って行ってくれと言う。こっちは早く速8酒店に行くことしか考えていないのに、おばちゃんのマシンガンのような中国語の迫力に圧倒されてしぶしぶついていくことにした。さっき断ったおっちゃんの宿の隣だった。部屋を見せてもらうと3人部屋の広くてバストイレ付きの部屋が100元で、1人部屋だとバストイレ共同だが50元にしてくれるというのだ。そのうえパソコンもついている。さっきのおっちゃんには悪いがここに泊まることにした。ドミトリーでも50元くらいはするので悪くない。宿の名前は旺盛家庭旅館、速8酒店のすぐ近くだが文昌南路沿いの建物の中をくぐり抜け少し奥に入ったところにあるのでわかりにくい。
宿も決まったので莫高窟入場券予約販売センターに行かなければならない。莫高窟へ行くにはまずはここで予約をしないといけないらしい。地図をみるとここのすぐ近くにあるみたいなので歩いて行くも見つからない。同じ通りを何度も往復してみたがやはり見つからない。道路掃除をしているおばちゃんに訊いてみると、なにやら信号のほうを指している。全然違う方向だけどあっちなのかなと思っていると、どうやら交差点に警察官がいるのでそこで訊いてくれということらしい。警察官に訊くと移転しているらしく、ここからまっすぐ東に歩いて10分ほどのところにあるらしい。教えてもらった方向に進んでいくと街から外れ建物がなくなってきて、なにかありそうな雰囲気がしなくなってきた、それでもどんどん東に向かって歩いて行くとやっと見つかった。中には日本語のできる担当者がいて日本語用のチケットを買った。そして特別窟も見てみたかったので特別窟を見たいのですが予約できますかと訊いてみると、特別窟は当日ガイドさんに直接言ってくださいとのことだった。そして有名なのは45窟なので見てみるといいですよと教えてくれた。
いったん宿に戻り、それから敦煌風情城という歩行街を歩き中心街まで行った。NIKONの看板のカメラ店があったので中に入ってみた。一番安いカメラで800元くらい。日本の2倍くらいの値段だ。どうしようか迷う、買ったほうがいいのかどうか。うーんどうしよう。いま必要なのだが、中国人がわざわざ日本に来てまで買っている物を日本人が中国で買うのもなにか納得できない。とりあえず保留して今は買わずに外に出た。
宿に戻りパソコンを起動してみた。WindowsXPで日本語文字がうまく登録できなかったので、もう一台ノートパソコンを貸してくれた。こちらはWindows7で日本語文字も登録されておりネット接続も問題ない。メールを確認して日本のニュースを少し見た。

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2016年5月 1日 (日)

冬の嘉峪関

朝起きてリュックの中を整理して軽く出発の準備をする。午前中に魏晋壁画墓を見学して、それから敦煌に向かおうと考えている。多少疲れは残っているが早く敦煌に行きたい。そう思って窓から外を見ると、なにやら白いものがちらりちらりと、木や車には積もっている。ま、まさか雪なのか?ちょっと信じられないがやっぱり雪である。食事のため外に出ると、とても寒い。牛肉麺を食べお湯をもらい宿に戻る。今から魏晋壁画墓へはとても行く気にならず。かといって敦煌に行くにしても寒すぎる。もう1泊延長することにしてベッドで寝ることにした。
昼過ぎまで寝て、ネットカフェに行ったが中国の身分証がないため入れてもらえず、魏晋壁画墓に行くことにした。乗り合い車とかないかと思ってバスターミナルまで行くと、ここは人を乗せるのよりも貨物を運ぶ軽トラとか四駆車とかが数台停まって貨物待ちをしていた。ひまそうに私が立っていると、おっちゃんが近寄って来てなにか言っている。中国人じゃないから聞いてもわからないよって言うと、寒いから車に乗ってろと言っている。この寒さなので人通りも少なく、今日は仕事がないのだろう。おっちゃんの四駆の荷台つきの車に乗ると、どこに行くんだ?とかいろいろ訊いてくる。魏晋壁画墓に行こうと思っていると言うと、往復150元でどうだとか、高いって言うと120元にするって、さっき訊いたタクシーは往復100元で行くって言ってたので、それでも高いのだが、まあ何かの縁だろうと思って120元で行ってもらうことにした。30分ほどで到着し入館料31元を払って地下の墓へ見に行く。絵を描いたレンガが墓室の内壁に嵌め込まれている。魏晋時代のものだとしたら保存状態が良い。ただ墓は1つだけで、あと博物館を見て、まあ31元は妥当だと思う。すごいというほどでもない。ただ墓はよくできていると思う。そんなに大きな墓ではないので、この地方の豪族とかの墓だろう。
昼間に横断歩道を歩いていると信号が赤になったので慌てて走ったら、胸ポケットに入れていたカメラを落として壊してしまった。あーこれは痛い。液晶画面が壊れてほとんど画像が表示されない。カメラの機能そのものは大丈夫のようだが液晶画面が壊れているのでピントの調整や画像がはっきり確認できない。その後カメラを売っていないか探してみたがスマホが流通しカメラの必要がないため電気屋とかでも売っていない。残念だ。

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